気まぐれアラサー diary

読書・彫刻・料理好きが日々のあれこれ綴ります

オカンとお弁当。

今週のお題「おかあさん」

 

先週の土曜日は母の日だったのですね。

今まではずっと実家暮らしだったので、毎年母の日はお祝いができていたのですが、実家を出て、実家の隣の県に引っ越した今、なかなかすぐにお祝いに行くということも難しくなってしまいました。

 

 

私の母は、、、一言で言うと「肝っ玉母ちゃん」。これにつきます。

見た目は確かにほわーんとしてて、小柄で、友達からは「お母さんカワイイ」と言ってもらえるのですが、いやいや、カワイイのは小柄な見た目だけだぞと心の中でツッコんでおります。

 

肝っ玉母ちゃんだけど「気が強い」というのとは違うんですよね。

相手に厳しめの言葉を投げることはないけど、自分の意志は強いというか。

 

 

良い意味では、私の性格の一部は母譲りなのかなぁと。

要求を言うのであれば、もう少し母に似て、もう少し女性らしい印象を持ちたいところです笑

ただ、、、こればっかりは、、、どうしても無理なようですねぇ、、、、、、

 

どうして私は、どこで何がどうなってこうなってしまったんだか

理解に苦しみます。

 

 

 

母には、感謝してもしきれないことがあって。

超スーパー暗黒時代だった高校生時代、入学後1週間で始まったイジメに嫌気がさし、それが3年間クラス替えがないことにもイヤになってしまい、4月から学校に行きたくないと言い出し、イジメが特に酷いなぁと感じた日は、外でモノに当たって手を血だらけにして帰ってくるような私に、毎日欠かさずお弁当を作ってくれたことです

 

ホントに毎日だったんです。

コンビニや学校の学食に行ったことは、本当に3年間一度もありません

 

苦痛でしかなかった学校で、楽しみってお弁当くらいでしたしね笑

 

今、実家を出て毎日自分でお弁当を作っているのですが、毎日毎日、違ったおかずを作って詰めるのって、結構大変だし面倒じゃないですか、、、

しかも、冷凍食品が入っていたこともありません

毎日毎日3年間1095日

手作りのお弁当でした。

 

母が、なぜ一切冷凍食品を使わなかったのか、なぜ毎日作ってくれたのか。

「行きたくない」を連発していたのに。

 

恥ずかしいという思いもあって、直接、どうして?とは聞けません。

 

学校を辞めたいと言ったことは、何度も何度も何度もありました笑

母自身は、私に学校を辞めさせなったことに対して、後悔している部分があるそうです。

もし、私が学校を辞めたいと言ったときに辞めさせていれば、ここまで荒れに荒れなかったのではないか、と思っているようです。

 

 

いやいやいや、それでもね、辞めなかったおかげで、鉄のメンタルを手に入れましたもの。

結果オーライですやん。

鉄のメンタルは、正直自信があります

基本的に「まぁ私ならなんとかなるだろう、なんとかするだろうハッハッハ」状態です笑

 

ただ母も、ある意味「私の娘なら大丈夫さハッハッハ」なのでしょうね笑

 

似たもの母娘でございます。

 

 

なんだかまとまりのない母への感謝になりましたが、言いたかったのは、「反抗期真っ盛りでも母が私に対して、一貫した態度を取ってくれたおかげで、半人前以下とは自負しているものの、働けるようになっているのかなぁ」と。

 

 

母親って、本当に強いんですね。

 

近々実家へ帰ろう。